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今回のご投稿は円さんから。更新までにお待たせしてしまい畏れ入りますが、今回も力作レビューをありがとうございます!

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今回のレビュー対象となった本は「眼」が印象的なこちらの御本。思わぬ目の付け所が満載の一冊だったようです・・・!


 

『アイ・ボディ: 脳と体にはたらく目の使い方』(ピーター・グルンワルド)

視力が悪い人は(悪くない人も)思わず手に取ってしまいたくなるTHE・目な表紙です。 「見える」とは実際にはどういうことなのか。それは単なる視力の良し悪しなのか。視る行為が脳でどのように処理され、身体の各部や精神とどう連動しているのか。まさに目から鱗の本書でした。

著者はピーター・グルンワルド。 子どもの頃から視力が悪かった彼は、兵役義務につくことを避けるため、わざと目を更に悪くしようとし、結果それは成功します。そこで著者がどう反応したかというと、もちろん兵役を免除されたことを喜んだのですが、それとともに、“視力を悪くすることができたのなら、良くする方法もあるのでは?”と、視力回復のための道を模索していきます。 一見すると真っ当な結論だと思うのですが、特に視力の悪い人が多いと言われる日本人にとっては、何と柔軟で素直な発想だろうと思う部分があるのではないでしょうか。

というのも、おそらくほとんどの人が、いったん悪くなった視力はそうやすやすと良くはならないと考えている(ふしがある)からです。 自分も昔から様々な視力回復法を試してきましたが、なかなか良くならないのは、眼の使い方云々だけではなく、そもそも視力に対する意識のあり方が間違っていたからなのかもしれないと思いました。また、仮に本書を読まずに視力が回復していたとしても、それは本当に回復したことにはなっていなかったのだろうと思います。“視えてはいても本当に視えてはいない状態”です。

本書のメソッドを実践するにあたって、眼球の構造や脳との関係、それらが身体のどの部分と連動しているかを具体的にイメージできるようになると、意識的に知覚に奥行をもたらすためのイメージも容易になるかもしれません。本書ではこの“意識的奥行知覚”の重要性が繰り返し説かれます。

例えば、“網膜と脈絡膜が広がると思いながらこのページが見えるようにするのです”と言われたところで、それらが眼球のどこに位置するかを明確に知らないとイメージのしようもありません。単語は知っていても、水晶体やガラス体の場所をきちんと思い描ける人はそんなにいないのではないでしょうか。(本書は詳しい図面が掲載されており、イメージの手助けになります)

後半では、意識的奥行知覚を日常生活で応用するとどんな変化が現れるかが、いくつか分かりやすく写真付きで説明されています。 そして最終的にどういった次元に到達するかというと…… “意識的奥行知覚を活性化し、視覚システムのエネルギー的要素を取り込んでゆくことで、視覚的自己を物質的環境および霊的次元と統合し、「ワンネス」を三次元的に体験をしながら生きることが可能になります。<p169>” とあり、もはや瞑想の世界であることが分かるかと思います。

意識的奥行知覚によって物事をあるがままに観察することができるようになると、外的・内的環境に左右されることが無くなり、今この瞬間を生きることができるようになるというわけです。

(以下は個人的な見解なので本書からは見当違いの考えになるかもしれません)よくテレビで貧困に苦しむ国の子供たちが映されることがあります。どういうわけか、みんな瞳がキラキラしていると思ったことはないでしょうか。将来の夢を尋ねると、多くの子供が医者や教師を目指していると言います。多少の福祉支援があるとしても、外的環境はほとんど絶望に等しい状況にもかかわらずです。ではなぜ希望を持つことができているかというと、それはきっと多くの現代人が、近視眼的な豊かさと引換えに蔑ろにしてきた奥行のある知覚システムを、誰に教えられるわけでもなく彼らは自分の脳の中で活き活きと活動させているからではないでしょうか。ふと、そんなことを思った次第です。

どれほど目が良い人でも、そして矯正器具によって目の悪さをさして気にしなくなった人でも、本書を読めば、「やっぱり裸眼でありのままの美しい世界を見てみたい」と願うことでしょう。一朝一夕でメガネやコンタクトを捨て去ることはできませんが、‟意識の奥深い所では視力の真の力が控えている”なんてことを考えるだけでも、不思議な希望が湧いてくる一冊なのでした。

 


円さん、いつもありがとうございます。

最後の「奥行のある知覚システム」が近視眼的な豊かさと引き換えに蔑ろにされてきているという論説は、さすがというべきか、円さんの「一段と深い読み」の充実を窺わせます。『アイ・ボディ: 脳と体にはたらく目の使い方』という本が、単なる科学的な視力の話ではなく、社会学的・文学的・哲学的な面も持ち合わせた一冊として昇華する瞬間なのだと思います。

それにしても、小宮山自身も目が悪くいろんな視力改善方法を試したことが思い出されます。5万円以上もする現代のVR機器のような物を頭にはめて眼球を動かす訓練をしたり(20年くらい前のこと)、ブルーベリーを大量に食べ過ぎて便の色が変わってしまったり、「両目を反対側に動かせ」というよくわからない医師からの指示に混乱したり…。そんな人体実験みたいな苦しみを経る前に、本書を読んでおくことができれば良かったなと思います。

また「眼球と瞑想」の世界というとどこかアメリカの思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンを想起させられるところがあり、彼が超越主義的理想状態として描く自我の在り方である「透明な眼球」(‘transparent eyeball’)を思い起こさずにいられませんでした。エマソン、ソロー、そしてホイットマンといった系譜の拡張主義(Expantionism)にも連なる「意識的奥行知覚」。それは一体どんなものか…『アイ・ボディ: 脳と体にはたらく目の使い方』を読んでお確かめくださいませ。

 

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(クリエイティブ司書・小宮山剛)